自分だけのエピソードは若者たちとつながる強力なツールです

青年たちに知識があっても経験不足なのが当たり前です。どれだけ学校の勉強をしたとしても、それだけでは役に立たないでしょう。でもそれが何故なのかと問われても答えることができないかもしれません。

役に立つとは、周囲の人の役に立つか、それとも自分の夢の実現の力になるかなどと目的によってそれぞれ指している意味が分かれてくるからです。

つまり知識が実際に役立つように応用できるためには十分なケーススタディが必要なのですが、現在の学校教育ではほとんど提供されていません。だからこそ、個別の体験から学ぶ機会は貴重なものになるでしょう。

そのような経験の重要性をわかっている若者は年長者の大切さを知っています。すべての若者、青年が年長者の大切さを知っているとは言えませんが、重要性を理解している若者たちは少なからずいますし、彼らは大抵、有能で将来性があります。

実社会では理論を実践できるかが問題になります。実社会は実験室ではありませんから、環境が整えられていません。また教室でもありせんから教科書やガイドブックもありません。

その上、試みたことで評価を受けるではなく、実現できたものの価値で評価を受けることになります。実社会で経験する成功、失敗や挫折とあるはずですが、青年が触れるものは当然ながら成功談が多くなりがちです。

年長者の中でも中高年はそれぞれの人生を渡ってきた強者です。強者とは成功に成功を重ねてきた者のことではありません。強者とは失敗と挫折を乗り越えてきた者の称号です。

失敗談こそは、成功のためのカギを隠した秘伝という要素を持った体験談なのです。そこから学んで継承すべき内容は実にふんだんであって、自分が若ければという苦悶すら含んでいるはずです。

そのような内容に触れる機会こそ貴重ではないでしょうか。失敗ですべてが終わってしまうのではない、何度も挑戦する力がどこからくるのかを知ることは、なによりも重要なはずです。年長者が提供する内容は現実にある危機であり、失敗であり、再挑戦です。それらを共有する交流が価値を持つはずです。

青年たちはそういった年長者との交流から、経験した固有の体験からケーススタディができます。学歴が役に立たない社会でどうやって夢を実現するのか。夢を実現するのは簡単なことではない、だから何が必要でどうすれば良いのかを知りたいのです。

彼らは個々の感性と能力を認めてもらって成長してきたはずですが、そんな能力だけで夢は実現しないのは明らかです。改めて考えなければならないのは夢を実現するために何が重要なのかということです。

実際にやりたい事や夢を実現するには、何が何でも協力者が必要です。協力者がなくては、軌道修正ができませんし、力も個人の力に限られてしまいます。人間の夢はほとんどの場合、複数の人間からの集団の中で価値を持つべきだからです。

大切な考え方のひとつに能力の高さで協力者を集めることはできないというものもあります。能力が高ければ夢は実現できると思っている若者は数多くいます。

彼らは能力が低いから、先輩たちは失敗に終わった程度に考えているかも知れません。しかし、過去の失敗には本当に能力が低いために成功できなかったわけではありません。

チャンスに恵まれなかったと分析する孔子の例は知られていませんが、彼は決して能力が不足していたのではありません。そして若者たちに能力以上に大切になる要因を伝えられるのは、年長者であり人生の証言者なのです。

失敗に負けない人生の歩き方を証言して、提示できる年長者は貴重であり、堂々と彼らと向かい合う中高年は現代の勇者として価値ある存在となります。