若者が密かに求めている大人像がこれだ。冗談メンターの役割り

子どもたちの親が担っている家庭教育には社会生活の基盤を作るという重大な役割があります。この基盤が上手にできていると子どもたちは社会に出てからも、安定した社会生活を営めます。

社会に出てから、あるいは社会に出るために予行演習的に大人たちと接したときに彼ら、子どもたちの社会的な調整能力の欠如が目立つようになってきました。挨拶ができなかったり、あからさまにすねたりするといいます。

問題点を指摘した途端、その場からいなくなったり、かつての社会では想像できなかったというような現象が起こります。それに対面するとどうすれば良いかと指導に困ってしまうのです。

調整できないのは彼らの成長過程や成長環境に中高年時代とは違いがあるからだと考えられます。

成長に伴って子どもたちは家庭から社会に接近します。すると両親が提供してきたもののズレに気づきますが、本来は親の周辺にいる大人たちの支援によって、調整できていました。

父親の兄弟が同居していたり、祖父母が同居していたりして、両親の言葉や態度を補って解説してくれたり、叱られた時の逃げ場所を提供してくれたりしました。それによって両親からの教育が一定の余裕を持つことになり、子どもたちは調整能力を身に付けました。

このように子どもたちにとって深刻な状況を緩和する機能を担った関係を「冗談関係」と呼びます。核家族によって親族内に冗談関係が失われました。

ただ核家族によって冗談関係が失われたというのは短絡的かも知れません。核家族化だけが犯人ではないからです。都会化した地域では地域的な冗談関係を維持できなくなっています。

様々な理由で流入する人口は地域的に信頼関係を形成するために時間が必要ですから、一時的に地域内で孤立した状況になります。孤立している期間内に転居すると、孤立状態が恒常的なものになります。これは都市空間が抱えている問題です。

いずれにせよ冗談関係がないため両親による家庭教育は機能不全になっています。遊びのないハンドルを握っているような状態ですから、厳しい教育も緩い教育も極端化する傾向にあります。

つまり冗談関係の位置から、規範の調整をすれば良いわけです。子どもの両親と同世代として両親の言葉や態度を補う理解を提供できれば問題に対処できるでしょう。

中高年は子どもたちの両親とほぼ同世代ですから、子どもたちと冗談関係になる素地を持っています。このような存在が「冗談メンター」として子どもの精神的・社会的な成長を支援できればと思います。

冗談メンターとは冗談関係を形成しているメンター、つまりは指導者を意味します。公的な教育での関わりでは、子どもたちにとって深刻すぎます。子どもたちに対して何程かの権力を持っているからです。

一方、冗談関係にある指導者、冗談メンターは子どもたちに対する権力を持ちません。ですから子どもたちはプレッシャーを感じずに接することができるというメリットが生まれます。

子どもたちは、両親の問題行動を相談されたことがあります。親に対して批判的な考えを持つだけ成長しているのですが、問題を受容できる理解に至っていないのです。

彼は、メンターに一生懸命事態を説明し、自分の主張を繰り返しながら、自分の視点と親のあり方とを整理して、穏健な理解を獲得できました。

冗談メンターの社会的な役割は重要です。何の権力もなく、子どもたちに振り回されそうになることもある立場ですが、大変重要な役割だと思います。

しかし、子どもたちからは彼らの両親に匹敵するほどの信頼が必要だろうと思います。それにふさわしい人格と技能とを求めていかなければなりません。