国際化・多様性に対抗するため!中高年がリーダを務めるべき

都会の町中に限らず、田舎の道ですら外国から来ている人たちとすれ違う時代です。日本だから日本のことだけを考えていれば、良いという時代ではなくなりました。

電車の中では外国語で話ししている若者たちを見かける機会に何度か遭遇して、時代の変化を実感しました。外国はもはや外国ではなく、日本の一部になりつつあるのかもと、感慨を覚えました。

一般に中高年は国際化に強くないという見識が多数あるようですが、それは本当でしょうか?もしそれが本当であるなら、今の時代に中高年が活躍できる分野が限られてくるかも知れません。

高齢者になるほど外国語の習得が難しいと考えられています。しかし、それはいつの時代のことでしょうか。戦後、継続的に日本では外国語教育がありました。外国語教育を受けていない昔の日本人ではありません。

実際にやってみれば、外国語の習得は継続性が必要で孤独な作業がほとんどです。一気に習得できる外国語などありませんし、言語の習得は他の分野よりも訓練期間が必要です。

むしろ孤独な学習を継続するための根気は中高年の特徴的能力でしょう。そのため街の外国語教室を訪問すれば、中高年の男女が机を囲んで学習している様子が見られます。

また必要に迫られた時に力を発揮してきたのは中高年世代の経歴として忘れてはいけません。高度経済成長は日々がストレスとの戦いでした。長期にわたるストレスに強いという性質を宿しているといえます。

このように整理すれば、国際化のストレスに対抗して道を拓く力があるのはむしろ中高年世代だといえそうです。ストレスは外国語にだけあるのではありません。国際化に伴う多様化も大きなストレスを生み出します。

多様化とは価値観の複雑化を意味します。ひとつの地域の中に多種多様な価値観を持つ人達が雑居するような状況なのです。その状況にはだれかの思い通りに決定できる要素はありません。

多様性の尊重は相手をただ優先するだけでは困ります。全体のメリットになるので、私たちは相手を優先するかもしれませんが、相手はそうとは限らないのです。

単純に相手の立場を優先して、すべてを譲ってしまうのは置き換えになってしまい、日本が日本ではなくなってしまう危険があるでしょう。

ですから対立する価値を認めるには自分の価値観をしっかりと持っている必要がありますが、若者に「自分の価値観」を要求するのには無理があります。価値観を確立するためには経験が必要だからです。

善悪を別にして年長者ともなれば、十分な経験から価値観を堅持しているはずです。これが多様性の調停に役立ちます。他者との交渉で自分の立場をしっかりと弁えているべきだからです。

自分の立場をしっかりと弁えてこそ、相手と対等の立場に立てるからです。つまり自分を確立して他者と対等の立場に立てるのは中高年です。

国際化とそれに伴う多様性に対抗するために必要とされる資質を中高年の世代は獲得しています。特に時間が必要になる経験的な知識は中高年のものです。

中高年が引退を決め込むのはまだまだ早すぎるでしょう。むしろ若い世代をリードして多様性を備えたより良い日本を求めるには、中高年の活躍が必要です。

中高年が自分の価値観を整理して再確認する作業は有益です。整理して再確認することで、自分を客観視すれば新たな発見があるに違いありません。これは自分自身をさらに高めることに繋がります。

この際、若者たちが支援してくれることは確かです。彼らは自分の人生の予備練習として参加してくれる気持ちを持っています。ですから彼らに自分の価値観を説明すれば、さらに客観的に見つめ直すことになり、評価を高めることが可能です。