偏差値が高いほど患う可能性が高い?恋愛傾向を押さえて語ろう

幼い頃から両親家族の期待を受けて、まっすぐに応えてきた子どもたちも今や学生として、あるいは社会人として大人社会に参加し始めているはずです。

彼らが対面しての人間関係に苦手意識を持っている事情は既にお話ししましたが、彼らの対人関係がもっとも焦点化して問題になるのは、恋愛関係に関係しています。

いざ、恋愛相談ということになれば、待ったなしの状況に違いありません。そして何より彼らは深刻そのものです。恋愛に切羽詰まる気持ちはわかるではありませんか。

彼らが問題の当事者になっていなければ、歯が浮くような恋愛の理想論が何故かわかりませんが、随分と喜ばれます。喫茶店で学生たちを相手に多少時代じみた恋愛論を説くと、彼らは目に真剣さが宿り、身を乗り出して聞き出します。

中にはノートに取ろうとする者まで出てくるほどです。基本的に彼らは単位取得の目的以外にはノートを取らないなどと思っていたので、ノートを取りながら恋愛論に耳を傾けている姿にたじろぎました。

周囲の期待と本人のプレッシャーは学歴に相関しています。彼らに集められた周囲の期待は、そのまま彼らにプレッシャーとしてのしかかっていますから、彼らは期待されていないことから遠ざかってしまっています。

両親や家族といった社会的な期待に従順だったために、個人的、本能的な技能に未成熟だと考えれば納得できます。技能だと言いましたが、技能も無意識になれば感覚のひとつです。彼らには恋愛に対する感覚がないのです。

彼らの間に自己確認としての恋愛感情という擬似恋愛関係が生れる余地も同じ理由です。恋愛という用語を意識している青年たちは過剰なまでの深刻さをもって恋愛と向かい合います。一方、恋愛をゲームの一種だと曲解してしまった連中は、恋愛を使える道具のひとつのように利用する結果を招きます。

深刻に向かい合うか、それとも道具の一種とするかはありますが、何れにせよ恋愛がゲーム化してきているので参加者と傍観者とに分かれる状況が出現します。その結果、恋愛に生命をかけようとする青年たちと、ゲームとして勝利を目指す人達と、それらを観戦している人たちの3グループに分けることができます。

観戦に回るグループは予備軍だと考えられます。実際、年長者の体験に真剣になって向かい合うのはこのグループなのです。観戦もスポーツ観戦などとはことなって、いわゆる観察学習の段階にあるのだと考えられるでしょう。

社会的に健康な恋愛ができずに、患ってしまう彼らのパターンを大きく2つに分けてみれば、まず声を掛けてから、次の一歩がわからない人がいます。この種の人は、男性に見られますが、ナンパができない人たちです。

デートも独りよがりになりがちです。何が他人に喜ばれるのか、他人が悦ぶことは自分と同じことなのだなどと根拠のない確信を持っていたりしますので、年長者の失敗談は彼らの確信を単に強める結果に終ります。

方や次に最初の声を掛けられただけで結論を導く人がいます。女の子に多いタイプです。ある女学生は街で声を掛けてきたホストの男性が宿命的な出会いの相手ではないかなどと深刻な相談をしました。

出会いのテクニックを紹介してあげましょう。どのようにして出会うことができるのか。どうすれば本当の出会いだと判断できるのか。このような内容はもちろん正解を見つけることができません。だからこそのケーススタディなのです。

彼らはそんな恋愛論に耳を傾けながら、語り部たる私たち年長者、中高年の人品を確認しつつ、人生の規範を見出しているようです。必ずしも現在の恋愛事情ではなく、私たちの過去の恋愛の豊かさが重要なのだと言っておきましょう。